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2025-02-08

極楽浄土

ジリジリジリ・・・目覚ましの音が今朝はやけに騒々しく感じる。

毎朝毎朝、決まった時間に起きるのがつくづく嫌になった。
寝たいときに寝て起きたいときに起きて
ついでに朝酒もとなればあゝ極楽極楽となるのだが
ドアの向こうではスズ(ネコ)が朝飯はまだかと
ニャーニャー鳴いている。

腹減ったぐらいで泣くなと叱りたいけどやっぱりほっとけない。
しかたなく布団から抜け出し雨戸をガラガラと開けると外はまだ薄暗い。

今朝は一段と冷える。
冷たい風が窓から吹き込みようやく眠気が覚めた。
あゝまたいつもの朝が始まる。
暖房にスイッチを入れると温風が吹き出し部屋を暖めてくれる。

物音に気付いた妻が寝ぼけ眼で起きてきた。
「オハヨー。早いわね」
早くないよ。あんたが遅いんだよ。

「いいじゃないのそれくらい。昼まで寝っ放しならともかく
五分十分遅いくらいでガタガタ言うと男の値打ちが下がるよ」

遅く起きても決して悪びれないのは昔からちっとも変わらない。

「朝刊、読む? 読むなら持ってきてあげようか」

寝起きのボサボサの髪のまま玄関へ新聞を取りに行った妻。
「持ってきてあげようか」じゃなく「持ってくるね」と言えないのか。フン!

新聞を差し出す妻に無言で受け取る不機嫌なわたし。
「あゝいやだいやだ。朝からそんな仏頂面されたらこっちだって気分が悪くなるわ」

妻のその一言でとうとう喧嘩になった。

開きかけた新聞を放り投げ、ご飯も食べず家を飛び出した。
やれやれ、つまらんことで喧嘩しちゃったな。

さてと、喫茶店にでも寄ってモーニングで腹ごしらえするか。
苦めのコーヒーとこんがり焼けたトーストで心が緩む。

読み損ねた朝刊を開くと宇治の観光記事が載っていた。
京都はオーバーツーリズムで行く気にもならないが
宇治市はそれほど混雑していないようだ。

宇治といえば思い浮かぶのが平等院。

数年前に京都観光のついでに訪れたことがあるが
初めて目の当たりにした宮殿はなんとも雅な雰囲気に包まれ
極楽浄土の世界を彷彿させる。

あのときは妻も私も足に不安があり満足に歩けなかったが
それを受け入れる余裕があった。

死んだら極楽浄土で楽しく暮らしたいね。
そう笑いながら参拝したあのときが懐かしい。

人生はそんなに長くはない。

つまらない喧嘩しているより、やりたいことをやって楽しまなければ損だ。
今夜はケーキでも買って仲直りとするか。

夕食後、温かいお茶を飲みながら、明日、平等院に行こうかと妻を誘う。

「宇治って寒い? 」
そりゃ冬だから寒いさなんて言ったらまた喧嘩になりそう。

質問は無視し抹茶スイーツと京弁当が待っているぞと言うと妻の目が輝いた。

翌朝、出発前の妻は慌ただしい。
トイレに行って飴と煎餅を持ってネコに「留守番頼むね」と声を掛けて・・・
あんたは子供か。

ナビに平等院を目的地にセットし二時間半のドライブがスタートした。
車中では音楽を聴いたり煎餅をかじったり、思いついたように会話をと退屈しない。

車が滋賀県辺りに入ると空が怪しくなり、やがて雨が降ってきた。
「今は降っているけど向こうに着く頃は止むと思うよ」

根拠もないことを言うけど妻の言葉はときどきは当たる。
宇治東インターを降り一般道に入ると雲の隙間から青空が覗いてきた。
このぶんなら傘は不要のようだ。

予め調べておいた駐車場に車を停めると南門入口までは歩いて一分ほど。
入口で一人七百円の拝観料を払い、まず向かったのは長い石階段を下りた先のトイレ。
年と寒さは確実にトイレを近くする。

境内では修学旅行の団体と鉢合わせしたが、引率教師の指導が良いのか
騒ぐ回る生徒もいなくて幸いだった。

平安時代にタイムスリップしたかのような鳳凰堂を眺めていると心が安らぐ。
ここは現生の極楽浄土なのかもしれない。

思い思いのポジションでカメラを向け記念撮影に忙しい人の間をすり抜け
あの世(鳳凰堂内)に通じる橋へと向かった。

係りの人から拝観にあたっての注意説明があり
橋を渡ると阿弥陀如来像が鎮座していた。
その後ろには五十二の雲中供養菩薩が飛翔している。

「命が尽きるとき、いちばん会いたい人が菩薩となって極楽浄土へ導いてくれます」

係の人の説明はまるで天からの声のようだった。

「話しが聴けてよかったね」
なにか吹っ切れたような表情の妻を見ていると
喧嘩している時間がじつにもったいないと思った。

「で、最後に会いたい人ってだれ?」
不意に妻が問いかけてきた。

お前だよと言うべきだがここで迷った。
会いたい人がいっぱい居るのだ。

中学のときの初恋の人
学生時代、付き合っていたけど好きだと最後まで言えなかった人

できることなら会いたい人の全員が菩薩になってほしい。
でもそれを口にしたら帰りの車中は、それこそ極楽から地獄だ(涙)