このごろのラーメンは、こってりぎらぎらの濃厚味ばかりで、昔の中華そばのようなあっさりしたラーメンを食べさせてくれる店が少なくなった。
あの頃の中華そばは家族のたまの御馳走だった・・・
以前よく食べに行ったラーメン屋の壁にこんなセリフが書かれていたけど一杯二九〇円のラーメンはまさに昔のご馳走だった。
いまから六十数年前のことである。
小学生もきょうで終わり、四月からはいよいよ中学生だ。学校から帰ると台所の土間にあった大きなビニール袋が目に止まった。
なんだろうと袋を開けるとニワトリの骨が入っている。
そういえば昨夜、母が「あしたはご馳走だよ」と言っていたことを思い出した。
ひょっとしたらご馳走って中華そばか?
嬉しいような嬉しくないような複雑な気持ち。
生のニワトリの骨を見て心が躍るはずもない。
当時、わたしの家にはまだ冷蔵庫がないので、生ものは日が当たらない暗所に置いていた。
近所の同級生は「俺んち、冷蔵庫あるから冷たいジュースがいつでも飲めるんだ。
お前の家はまだ生ぬるい水道水で作った渡辺のジュースか? ヘヘヘ」と馬鹿にする、
近所でなかったらこいつとは口もききたくなかった。
(当時、渡辺のジュースの素という粉末のジュースがあった)
フン、冷たいジュースなんか飲んだらお腹が下るわと言い返したが空しかった。
季節は春。冷蔵庫がなくても日の当たらない土間なら鶏ガラが腐ることはないけど見た目が悪く家にあること自体に違和感があった。
カバンを置いて近くの名古屋城のお堀に遊びに行く。
あいかわらず平日にもかかわらず、けっこうな数のおっちゃんが釣りをしている。
ここで仲良くなったおじさんもいるかなと探したがどこにもいなかった。
そういえば最近ずっと顔を見かけない。
前は来れば必ずと言っていいほど会えたけどおじさん、釣りばかりして生活が苦しくなったかも・・・
春の風はまだ冷たかった。
家に帰ると仕事から帰った母が台所で夕食の準備をしている。
「今夜のおかずはなに?」
聞かなくてもわかっていたけど聞いてみた。
「中華そば屋の前を通ったとき、お前、食べたいって言ってたから、今夜は母ちゃんが作ってあげる」
やっぱり中華そばか。
信じられないかもしれないが、当時、わたしの家は焼きそばもお好み焼きも一人前を二人で分けるのが当たり前だった。
おかげでたくさん食べた食べないだのと兄妹喧嘩が日常茶飯事だった。
それにしても今夜はご馳走って言うから大好きな寿司(助六)かなと思ったけど麺が半分の中華そばでは少し悲しい。
スープを煮立てている母に「きょうも半分づつ?」と聞いてみた。
「馬鹿だね。麺は一人一玉に決まってるだろ」
オォ~ ひとり一玉とは!我が家に春がやってきた。
大きな鍋から湯気がモクモク立ち昇りスープが出来上がるのはもうすぐだ。
それにしてもたかが中華そばが出来上がるのが待ち遠しく思えたのは当時だからこそに違いない。
いまのようになんでも食べられる時代には得られない幸せがそこにはあった。
さて、スープもできて麵も茹で上がった。
丼には細かい水玉模様のトリの油が浮かんでいる。
あとは具を乗せれば一丁上がり・・・・・・となる筈だったが具がどこにもない。
「ネギがあるよ。中華そばはネギがいちばん合うんだから」
いやいや、そういう問題じゃなくてチャーシューとかないの? 母ちゃん。
ここで幸福感ぐっと下がる。
しかたない。まずは琥珀色したスープをひとくち飲む。ん? 微妙な味だ。
「どう、美味しい?」 と聞く母に、なんと答えていいか返事に窮していると「かあちゃん、こんど作るときはインスタントスープにしたら? 」
姉のストレートな言葉に母の表情が曇った。
そりゃそうだ。みんなの喜ぶ顔を見たくてわざわざスープを作ったというのにこれでは母が浮かばれない。
姉の心無い言葉にわたしは悲しかった。
それまでの楽しい雰囲気は一瞬にして冷え、そこに居ることさえ息苦しくなった。
「違うよ。わたしは母ちゃんが仕事で疲れているから、こんなに時間と手間をかけるよりもっと楽したら、という意味で言ったの」
姉の弁解力はすごいなと思った。
わたしではこんな機転がきかない。
見え透いた言い訳も言ってみるもので、その言葉で空気が少し和らいだ気がした。
「ただいま。おっ、今夜は中華そばか。俺、もう腹ペコだからすぐ作って」
いつもより早く帰った父のその言葉に母はうれしそうだった。