久々の再会がまさかこんな形になろうとは思っていてもなかった。
突然、君の姉さんから連絡があり、君の病気が深刻な状況だと知らされた。
若いときから体格が良く、健康には人一倍気を使っていた君がこんな大病を患ったというのに、食べたいものを食べ、運動もろくにしないわたしが元気とは、まったく人の運命なんてわからない。
人との付き合いは嫌いではないが、この年になると新しい友人を作るのも億劫。
すでに鬼籍に入った友人もひとりふたりと、いまでは友人と呼べるのはほんの一握りになったわたし。
思い起こせば君と初めて知り合ったのは高校一年のときだった。
たまたま隣の席だった君とは、お互いに釣りや音楽が趣味だとわかり、親しくなるのに時間はかからなかった。
あのとき、君もわたしも真剣にバンド活動を夢見ていた。
親が金持ちの君は、ヤマハのギター、貧乏人のわたしは質流れの三千円のギターをかき鳴らし、授業が終わると君の家の倉庫で二人でよく練習をしたものだ。
ただ、バンドをやるのにギター二人では音にならない。
そこでドラムが叩ける奴を探し出し、ついでにベースギターを持っている奴も見つけて、なんとかバンドの恰好がついた。
ドラム担当は腕が良く、音楽センスもわたしたちとは明らかに違っていた。
誰が言うまでもなく奴がリーダーになった。
だが、性格がこのうえなく悪い男だった。
わたしが間違うとボロガスにこき下ろし、質流れのギターでは音が悪すぎると人を見下げるようなことを平気で言う。
バンドを続けるためだ、我慢するしかないと耐えていたけど、心の中では、こいつとは長くやれないなと思っていた。
君も奴の音楽センスは認めていたが、心中、快く思っていなかったのだろう。
あるとき、いつもの奴の口撃が始まったときだった。
あまりの傲慢さに「だったらもっと上手なメンバーとやればいいじゃないか。俺たちは楽しくやりたいんだ。悪いけど帰ってくれ」
わたしはその一言で救われ、再び、奴抜きでの練習が始まった。
いま思うと、君と長く練習できたのはお互いの腕前に大差がなかったことかもしれない。
こうしてドラムのないバンド練習は受験勉強が始まるまで続いた。
思えばあの期間はほんとうに楽しかった。
上手い下手に関係なく、やりたいことに夢中になれた高校生活最高の思い出だ。
大学卒業後、君はデザイナー、わたしは商人と目指す方向は違ったが、会えば趣味の話で盛り上がるの常だった。
そんな二人もやがて徐々に会う機会が減り、会うたびに「久し振り」があいさつになった。
そういえば、君と釣りに行ったのは三河湾の佐久島が最後だった。
大物を釣った方が晩飯を御馳走になるというルールで釣りを始めたが、二人とも一向に釣れる気配がない。
そのうち竿はほったらかしてお互いの釣り自慢になり、俺はこんな大物を釣ったとか、いや俺だって50センチのクロダイをあと一歩で取り逃がしたとか、くだらない自慢話しの応酬になり、気まずい雰囲気になってきた。
その空気にいたたまれず、わたしはリュックから持ってきたおにぎりを取り出し「食べる?」と彼に差し出した。
やっぱり釣りのときはおにぎりが一番だ。
独身の彼の昼飯はおそらく前日にスーパーで買ったパンだろう。
「辛子明太子としぐれがあるけどどっちがいい?」と聞くと、図々しくも「二つとも欲しい」と言う。
ようやく二人に笑顔が戻った。
空の下でおにぎりをほおばり釣り糸を垂れていると、もはや大物がどうのこうのなんてどうでもよくなった。
あゝ時を戻せるならあのときに戻りたい。
その後、君とは会う機会もなく、気が付いたら一〇年が過ぎていた。
久しぶりに連絡を取ってみようかと考えていた矢先、君の姉さんから突然電話が入った。
重い病気で君の命があと僅かと知らされ、言葉を失った。
翌日、慌てて病院へと向かうと、ベッドに横たわる君は変わり果てた姿だった。
「米本、俺、もう駄目だ」
わたしの顔を見るなり君は弱弱しい声で呟いた。
あゝなにを話せばいいのだろう。言葉か見つからない。
変な慰めなど言いたくなかったが、なにか話さなくてはと咄嗟に出たのは
「ビートルズが好きだったよな。今度、見舞いに来たとき、一緒に聞こうか」
「聞きたくない」
悲しそうにそう言った君の顔が今でも忘れられない。
それからしばらくして、彼の訃報が届いた。
あのとき、君は思っていただろう。
先がある人間に今の自分の気持ちなどわかるはずがないと。
君の悲しさ辛さを汲み取れなかった自分がただただ恥ずかしい。