日が暮れるのが早くなり、各地から紅葉情報が届く季節になった。
夕食後温かいお茶を飲みながら新聞を読んでいると、新穂高の鮮やかな山々がテレビから流れてきた。
「見て見て、新穂高の紅葉よ。きれいね。また行ってみたいわ」
さっきから隣りで煎餅をぽりぽり食べている妻は血糖値が高め。
食べ過ぎに注意と医者に忠告されているが「煎餅の1枚くらい大丈夫」と次から次と煎餅に手が伸びる。
あんたの一枚は一袋か。
もっとも普段はどちらかと言えば小食の部類で、ひょっとしたら不足する栄養分を煎餅で補っているのかもしれない。
明日からは煎餅の一枚二枚、いや一袋でガミガミいうのはよそう。
さて、新穂高は十年ほど前に一度だけ訪れたことがある。
新緑がきれいな五月だった。
山頂の展望台へは二つのロープウェイを乗り継いで行く。
澄み切った青空と頂に雪が残った北アルプスの山々のなんと美しいことか。
山に登る人の気持ちがわかると言うと
「ウソでしょ。あのとき、ゴンドラの真ん中で大勢の人に囲まれていたじゃない。外の景色なんか見てなかったでしょ」
海や池・湖は苦手なのに高い所だけは平気な妻が茶々を入れる。
じつはわたしは高いところが苦手なのだ。
二階建てならまだしもそれ以上の高さになると怖くて下を覗くことができない。
覗かなくてもマンションの外通路を歩くだけでドキドキと緊張する。
わたしが高所恐怖症になったのは小学生の頃からだと思う。
家族でテレビ塔に行ったときだった。
普通に上がっても面白くないから外の階段を登ろうとなった。
はじめのうちはスリルがあるなぁと軽口をたたいていたが、そのうち恐怖で足がすくみ先に進めなくなった。
かといって後ろからは次々と人が来るから引き返すこともできない。
二度とテレビ塔なんか来るもんかと思ったが登るしかなかった。
体をガクガク震えさせ、展望台に着いても動悸は治まらず汗でぐったり。
そんなわたしを兄妹は笑いながら冷やかしたが、あのときの恨みはいまも忘れていない(笑)
そんな筋金入りの高所恐怖症でも、山の稜線に沿って昇っていくロープウェイはさほど怖くなかった。
新穂高は後ろ方向は高さを感じるが、地上がはるか眼下というわけでもなく、標高2千m超えという割りに恐怖感はたいしたことない。
窓際を避けゴンドラの中央寄りに立っていたけど(涙)
「窓際でも真ん中でも一緒よ。落ちるときは落ちるんだから」とうそぶく妻も、あそこだけは絶対にイヤというロープウェイがある。
御在所岳ロープウェイだ。
鉄塔の高さが六十mと聞いても最初はピンとこなかった。
最初のうちは下の建物がだんだん小さくなるなというぐらいで窓からの景色も楽しめた。
だが、遮るものがまったくない地上から百メートルはありそうなところまで来ると、言葉では言い表せない恐怖に襲われた。
せいぜい四人くらいしか乗れない小さなゴンドラは右に左と揺れる。
目をつぶれば怖くないよと言う妻もさっきまで「きれい、すごい」と、はしゃいでいたが気が付いたら無言で体が固まっている。
落ちたら確実にあの世行きだなとか、途中で止まったらどうやって助けてくれるのか、などと起きてもいないことばかり考えてしまう。
そのうち座ることも立つこともできず、とうとう床にしゃがみ込んでしまった。
他人が乗り合わせいなかったのは幸いだった。
十二分間の空中散歩は地上に落ちることもなく、無事に終点に到着した。
テレビ塔を階段で昇ったときとどっちが怖かった?と聞く妻も足がふらふらしている。
「昔、鳥のように手をバタバタさせ空を飛んだ夢を見たことがあるけど、それができたら高所恐怖症にはならなかったと思う」
と言うと「高いところが苦手の鳥だっているかもしれない」と妻。
馬鹿馬鹿しい会話の二人の頭上をカラスがアホーと鳴きながら飛んで行った。